この記事は
武士道の精神なども
江戸時代からの貴重な学び
の続編にあたります。
前回でもご説明しましたが、江戸
時代に日本は、すでに世界最高水準
の文化レベルであり知的レベルでも
あったわけです。
ただ明治時代になって、西洋の軍事力
を目の当たりにしてから、西洋式の
近代教育を取り入れ、西洋式の軍備を
手にしようとしたため、江戸時代とは
別のタイプの教育に変わってしまった
という事です。
もう一つの意味は、明治政府に影響力を
持つ欧米の権力者の意図通りの教育
システムに切り替えさせられたという事
でもあるでしょう。それは現在でも
我々を苦しめる事になる、銀行システム
による貨幣経済への移行と同様だという
事です。
以下は
『「江戸は世界最高の知的社会」
徳川宗英著
講談社+α新書刊』
を参考文献としています。
さて和算が世界最高水準だったのは、
確かな事実のようで、たとえば
皆さんもご存知の円周率の公式を
世界で初めて発見したのが、有名な
和算学者の関孝和の高弟の建部賢弘
という人物だということです。
後年スイスの数学者が同様の公式を
発見したけれども、それにさきがける
事15年だったという事です。
円周率は、なんとギリシャ時代の
アルキメデスがすでに3.14という
ところまでは、導きだしていたのです
からまたしてもギリシャのレベルの
高さを思い知る事になるわけですが、
江戸時代の和算も相当高いレベルで
あったようです。
江戸時代も中期にさしかかると各地で
「算額奉納」というものが流行した
らしいです。
算額は、数学の問題と解法を書いた
大きい絵馬のようなもので、おもに
神社に奉納されたという事です。
人目をひきやすいように派手に彩色
した図形問題が好んで選ばれ、
スペースが限られているため、簡潔な
式を答えとする問題が多かったよう
ですが、和算家はもとより、庶民も
こぞって算額を掲げ、難問が解けた
ことを神様に感謝し、自分の数学の
到達点を世間に向けて自慢した人。自作の
難問を算額で発表する人もいたようです。
いかに、江戸時代の庶民の知的水準が
高かったかわかるとともに、知的欲求も
相当貪欲であった事がわかります。
まあ現代でいえば、クイズやパズルの
ブームのようなものだと思いますが、
問題を考え出したりするところに
知性の高さを感じますね。
つまり算額の額とは大きい絵馬の事で
そこにいろいろと難問や図形や数式を
書き込んで神社に奉納といいながら、
世間に発表するブログのようなもの
だったという事です。
なんだか親近感が湧いてきますねー。
その算額を見た人が問題を書き写して
持ち帰り、一人で悶々と考えたり、
仲間と大騒ぎして解きあったり、
さらには解法を発見すると、それを
また算額にして発表する事もあった
という事です。
まさに和算での一つの同好会のような
ものが、神社の算額を中心に全国的に
流行したという事なのです。
しかもその算額には、ノーベル化学賞
を一九三七年にとったフレデリック
ソディーの「六球連鎖の定理」とほぼ
同様のものが、それより115年も
前の一八二二年に商人の入澤新太郎と
言う人物によって奉納されていたの
ですから驚きですよね。
和算は、地方に数学を教えてまわる
「遊歴算家」(ゆうれきさんか)
という人達がいて、やはり地方の
多くの勉学熱心な人々に歓迎された
という事です。
このようにして和算は全国津々浦々に
浸透し、ついには、自分がどれほど
算術好きか死後もアピールするために、
墓石に和算の問題と解答を彫らせる
者まで現れたらしいのですが、
「算題墓石」と呼ばれるこうした
お墓は、全国各地にいくつか残されて
いるそうです。
こうして江戸時代に全国に浸透して
いた和算が上に書いたような理由で
徐々にオモテ舞台から姿を消して
いったようです。
しかし、楽しみながら生活に密着した
数学が身につく和算の良さは、近年
見直されて、なんと小学校の教科書に
復活したり、算数や数学好きの現代の
子供たちが自作の問題を算額にして
神社などに滞納する事もあるらしい
です。全く知りませんでしたね。
また海外でも算額ファンが増えていて
2008年には、フランスで算額の
専門書まで刊行されたという事です。
以上の参考文献が
『「江戸は世界最高の知的社会」
徳川宗英著
講談社+α新書刊』
という事ですが、今度の記事ではこの本
から寺子屋についての引用をさせて
いただく予定です。
和算が庶民の間でこれだけ流行った
背景には、全国に1万ほどもあった
という寺子屋の存在があったという
事なのです。
それにしても墓石に和算の問題と解答を
彫らせるとは、ある意味ロマンですねー
私は、伝統とかそれほど重要視しないで
生きてきましたが、ここで遠い将来
自分が死ぬ前に、自分の墓石に、真理
探究の成果を彫って残しておきたい
と思いましたね。しかし文字数が
軽く10万は越えそうなので、彫って
もらうと天文学的なお値段になりそう
なので、自分で彫るしかないかー💦
しかし、技術を手に入れ、それだれけの
文字を彫るためのスペースを確保する
墓石も用意しなきゃいけないし、
うーん、そっか図形で一発で表現
できる真理ならいいわけだなー。
よーし、これを数千年後に見た未来人
が賞賛してくれるか、はたまたレベル
が低すぎて笑われる事になるか、どちら
にしても楽しみではあると思いまーす。
みなさんも墓石でなくても、自分が
この世に残していくものがいろいろ
あった方が楽しいとは思いませんかー?
もちろんいろんな方がおられると思い
ますが、墓石に刻むというのは、一つ
夢があると思いました。
次回は寺子屋についてです。
ではまた(^^)/